永遠の命題、釣れた魚をリリースするのか、持ち帰って食べるのか。キャッチ&リリース派、キャッチ&イート派。どちらが良くて、どちらが悪いということはなく、どちらにも一理ある考え方です。
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キャッチ&リリースとは

キャッチ&リリース、おそらくこの言葉が多用されるのは、ブラックバスなどを対象としたスポーツフィッシングでしょう。スポーツフィッシングとは、釣りをスポーツととらえる考え方で、ゲームフィッシングともいわれます。魚との駆け引きを楽しむもので、魚はいわば対戦相手であり、釣り上げた後はそのファイトを称え、元の環境へとリリースします。
魚釣りという人間の勝手な娯楽で、魚を殺してはいけないといった動物愛護・資源保護といった考え方が、根源にあるのでしょう。

キャッチ&イートとは

釣れた魚を新鮮に持ち帰って食べることは、釣りの醍醐味の一つでしょう。人間は自然の恵みを受けて生きています。現代でも漁師がとった魚がスーパーに並び、それを買って食卓にならんでいます。
スポーツフィッシングとは違い、魚を食料として考える釣りです。






私の考え

日本において、キャッチ&リリースという言葉自体は、1980年代から90年代にかけて、バスフィッシングの流行とともに使われるようになった言葉だそうです。私はその時代に幼少期を過ごしていましたが、釣りといえばもっぱら父親に連れられて、川での小物釣りでした。釣れたウグイは持ち帰って、母親が甘露煮にしてくれて、食卓に並びました。格別においしいという思い出はありませんが、釣った魚は美味しくいただくというのが、私の幼い頃から染み付いた考え方です。
バスフィッシングの流行にはふれないまま育ち、大人になってからは船釣りに傾倒しました。初めての釣り物は、東京湾のシロギスでした。友人に連れられて道具をそろえて、いざ出船。数は釣れませんでしたが、連れた瞬間の高揚感は幼いころに味わったなつかしいものでした。何よりの感動は、持ち帰ったシロギスを天ぷらにした美味しさでした。その後も、アジ、根魚、カワハギ、マダイ、ヒラメと次々に釣行しては、そのおいしさに舌鼓をうちました。
やはり、釣った魚はおいしい。釣り人の特権といわれるものに、魅了されました。

そして、私の釣り歴に新たな幕がおりました。これが、渓流でのテンカラ釣りです。私が通う川の水系はアユの友釣りが主で、アマゴはシーズン初期に放流されたものが5月ごろには餌釣り師にほとんど釣り上げられ、そして持ち帰られてしまう、といった河川です。初めてテンカラ釣りをやろうと思い、ゴールデンウィークに実家へ帰省したおり、遊漁券を購入しに釣り具屋へ行って状況を聞いてみると、「もう遅い」、そう言われたのは印象的です。

アユの遡上を促すための工事は進んでいますが、かつてのダム建設などで、渓流魚(アマゴ、イワナ)はほとんど絶滅に近い状態になったものと思われます。それでも、川へ行くと、春にかえったばかりの小さなアマゴが群れになって泳いでいます。その姿を見ると、ただ釣って持ち帰るということに疑問を持つようになりました。

どちらの考えも人間の都合

木々がおいしげっていて、川の水は透き通っていて、そこで釣れた渓流魚は、とっても美しく輝いて見えます。葉っぱを食べるシカに遭遇したり、得体のしれないガサガサという音が聞こえたり。自然にの中に身を置くと、自分も一つの小さな生物であることを実感します。
釣れた魚がおいしいということが、私の基本的な考え方でしたが、自分で巻いた毛鉤に食いついてきてくれた渓流魚は良き対戦相手に見えるようにもなってきました。
今の時点で私の思うことは、キャッチ&リリース、キャッチ&イートのどちらが正しい、どちらが間違っているということではなく、どちらも人間の都合であるということです。20匹も30匹も魚を持ち帰っている釣り人を見かけると、種の保存をもう少し考えろ、と思ってしまうこともあります。しかし、釣った魚はもちろん、肉や野菜など自然の恵みをうけて生きている以上、そう言える立場でもないとも思います。
私の中では答えはでていません。今後もでないままかもしれません。私は、その日家族で食べる分を食料としていただくことにしています。皆様はどうお考えでしょうか。よろしければ、皆様のお考えをお聞かせください。

“釣れた魚!リリースorイート?” への2件のフィードバック

  1. 自分も家族分というか、子供は川魚好きでないので、嫁さん自分だけの2匹持ち帰って美味しく食べています
    テンカラをやっている人は、リリースが多いので、心が痛みますが、苦労して釣ったマス族は美味しいのでいただいています

    1. 大将様

      コメントありがとうございます♪私もマス族大好きですよ!美味しいですよね!
      本来、釣りは漁で、人々の食生活を支えて来たものだと思います。現代でも、自然の恵みを受けて人は生きています。スーパーで買って食べても、釣って食べても、大きな違いはないと思っています。
      テンカラで対象となる渓流魚、特に天然魚は希少な存在になってしまったので、人が思うがままに取って食べるということに、倫理観が伴うようになったのだと思います。テンカラは釣り自体に毛鉤で掛けるというゲーム性があったり、山遊びと親和性が高かったり、自然を大事にする考えに結びつきやすい釣りと言えるかもしれませんね。限りある資源を相手にする趣味、娯楽ですから、自分のことだけでなく、その資源を大切にするのは大事なことだと思おいます。
      大将様のように家族分を…と言う考え方が、現代の渓流釣りではバランスのとれた考え方だと思います。

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